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「かぐや姫の物語」の感想

金曜ロードショーで『かぐや姫の物語』を観たので、

今日はその感想をお話ししていきたいと思います。


実は「ジブリ作品の中で好きな作品」一二を争う作品だったりします。

ちなみにもう一つはナウシカです。


『かぐや姫の物語』は、「たけのこ」と呼ばれた一人の女の子が、

「かぐや姫」と呼ばれるようになり、

やがてこの世と別れ、月に帰ることになるまでの物語です。


私は、「たけのこ」という一人の人間としてではなく、

美しい姫君としての「かぐや姫」という

役割や属性として扱われることへの葛藤が描かれているように感じました。


女性、男性、障害者、親、子ども、専門職…。

属性や役割そのものは、社会生活の中で必要な情報でもあります。


私たちは日常的に、人を属性や役割といった枠組みで処理しながら生きています。

それ自体に、必ずしも悪意があるわけではありません。


コンビニの店員さんやバスの運転手さん…

ひとりひとりに人格が、人生があるのは当然ですが、

四六時中意識していると、

お互いに脳が過重負荷で疲れ果ててしまうことでしょう。


けれど、本来その人の意思や感情が尊重されるべき場面で、

属性だけで処理されるとき、

人は「人として見られない」という深い痛みを経験します。

それは、相手の欲や期待を満たすための道具のように扱われたとも感じられることでしょう。


このときに生じる怒りや悲しみは、決して過剰な反応ではありません。

主体性を奪われたことへの、極めて自然な反応です。


かぐや姫が示した「月へ帰りたい」つまり、

「この世から去ってしまいたい」という悲痛な想いもまた、

その魂を無視するような扱いが積み重なった末のものであったと思います。


しかし、私たちは常に「押し付けられる側」である訳ではありません。

期待に応えたい、愛情を返したい、関係を壊したくない。

そうした思いから、自ら役割を引き受けてしまうこともあります。


しかし、応え続けるうちに、

いつの間にか役割だけが前に出て、

違和感や怒り、疲れを感じる自分が後回しになる。

その結果、「役割を果たしている自分」以外で存在してよいのか分からなくなってしまう…。


かぐや姫もまた、地球を、人の世を、

そして身近な人たちを愛していた存在だったのだと思います。

もし人の世を何とも思っていなければ、期待に応えようとする葛藤そのものが生じなかったはずです。

愛していたからこそ、周囲の期待を拒むことも、月へ帰ってしまうことも自ら選べなかった。


属性や役割で判断されることへの怒りと、それでも引き受けてしまう自分。

この二つは矛盾ではなく、同時に成立しうるものです。


この葛藤こそが、彼女が人の情けを育んでいた証でもあるのではないでしょうか。


この葛藤は、苦しいものである一方で人間のもっとも人間らしい姿であり、

『かぐや姫の物語』でも世界を彩る鮮やかさとして捉えられていたのではないでしょうか。


葛藤がなければ、もっと楽に生きられるのに、とも思います。

しかし、人間は、私たちの生きる社会は、そんなに単純なものではありません。

複数の価値や関係を抱え、その間で揺れ動くこと自体が、

苦しくても、人として生きるということなのだと感じました。


役割に飲み込まれて自分を捨てるのでもなく、

愛してきたもの、大切にしてきたものを断ち切るのでもなく、

揺れながら、そのどちらでもない新しい道を見つけていく。


私は、そのような葛藤に寄り添い、

新しい道を見つける旅路に寄り添えるカウンセラーでありたいと、改めて思いました。


ここまで、ご覧いただきありがとうございました。

 
 

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