「カフネ」の感想
- 熊野 春菜

- 4月7日
- 読了時間: 3分
更新日:4月23日
『カフネ』という小説を読んだので、
今日はその感想をお話ししていきたいと思います。
極力ネタバレしないように書いていますが、
多少のネタバレが含まれていますのでご了承ください。
一番心に残ったのは、
愛とは「知らずあふれ出てしまうもの」なのではないか、という感覚でした。
私たちは様々な対象に愛を向けます。
親から子へ、きょうだいへ、恋人や配偶者へ。
あるいは名前のついていない関係性の中にも、
その関係だけの新しい愛の形が生じることがあります。
推し活という言葉もありますし、
もちろん物や活動に向けられる愛もあるでしょう。
そう考えると、人は何かに愛さずには生きていけない生き物なのかもしれません。
でも、愛は知らず溢れ、コントロールできず、
時に、相手を飲み込み押し流してしまうこともあります。
物語の中で印象的だったのは、主人公である薫子さんと、弟や両親との関係です。
両親の言葉は古い価値観や不安に根ざし、押しつけがましい気もする。
少なくとも、薫子さんや弟さんにとっては負担になっているように見えました。
しかし「良かれと思って」発せられているものであり、
そこには愛情がないわけではありません。
良かれと思って言っているのだと思えばこそ無碍にもできないし、
何より、両親を愛しているからこそ聞き入れてあげたいと思ってしまう。
褒められたい、認められる姿でいたいと思ってしまう…。
それは、一種の愛の暴力的側面であるように思えました。
本来は両立可能なものだと、頭では思うのです。
「相手の愛情を受け取ること」と「その助言を採用するかどうか」は分けられるはず。
感情と行動は切り分けることができる…はず…。
しかし現実には、それがとても難しい。
助言を断ることが、どこか愛そのものの否定のように感じられてしまうことがある。
――そして、物語の終盤、薫子さんは両親にある言葉を伝えます。
人は誰かを愛するとき、良くも悪くも相手に影響を与えます。
そしてその関係の中では、拒絶される可能性や、
相手を傷つけてしまう可能性も避けることはできません。
それでもなお関わり続けるのであれば、
自分はどのように関わるのか、どこまでを引き受けるのかを、
その都度、選び続けていく必要があるのだと思います。
カフネでの家事ボランティアが、薫子さんの道しるべになったのではないかと思いました。
カフネでの多くの出会いがあったからこそ、
両親に対しても、愛情を否定せずに線を引くという選択が可能になったように思います。
そこには、関係の中で生じる影響を引き受けながらも、
自分の関わり方を「選び直す」強さ、強かな姿がありました。
線引きは、一度決めて終わるものではありません。
関係の中で、お互いに更新され続けていくのでしょう。
そう考えると、愛し合うということは、
調和のとれた安定した状態を指すのではなく、
むしろずれや緊張を含んだまま、
その都度関係のあり方を調整し続ける営みなのかもしれません。
愛することの難しさを知って、それでもなお、愛し続けていくことはきっと苦しいけれど、人間らしく、なにより尊いものだと私は感じました。
もし感想を読んで、興味が湧いたら『カフネ』を読んでみてください。
そして、おいしいって思えるご飯を(おやつでもいいです)食べてみてください。
ここまで、ご覧いただきありがとうございました。

