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「障害のある人の親がものを言うということ」後編3/4


【1人の支援者として思うこと】


前編では、本書を読みながら、

保護者の方が「語る」ことに伴う痛みや、「強くならざるを得なかった」過程、

そして支援者と保護者のあいだに横たわる見えにくい権力構造について考えました。


読み進める中で、私自身が支援者としてどこに立ち、

何を大切にして関わっていきたいのかを、改めて問い直される感覚があったので、

今日はそのことについてお話ししていきたいと思います。



支援の現場には、「正しい親かどうか」という視点が、

無意識のうちに持ち込まれてしまうことがあります。


しかしその視点は、

保護者を「一人の人間」として見ることを忘れさせてしまう危うさを含んでいます。


親である以前に、その人もまた一人の生活者であり、

迷いながら、学びながら、自分なりに世界を広げていく存在であるはずです。


著者は、障害のある子どもを育てることを通して、

自身の世界が広げられていく経験について触れていました。


しかしそれは、決して美しい成長物語として語れるものばかりではなく、

ときに否応なく引き伸ばされるような、

痛みを伴う経験でもあるのだと述べられていました。


保護者を「評価の対象」として見るのではなく、

苦悩し、揺れながらも歩み続ける一人の人として尊重して関わること――

その「広げられてしまう痛み」へのまなざしを、

私たち支援者は忘れてはならないのだと感じました。


また本書では、コロナ禍における生々しい孤立や、

地域移行が掲げる理想と現実のあいだのズレ、

制度の中に潜む欺瞞についても描かれていました。


その苦しさの中で、本来は「仲間」であるはずの支援者と保護者が、

知らず知らずのうちに互いを傷つけてしまう。


その現実から目を逸らさず、痛みを抱えたまま、

それでももう一度関係を築き直そうとする著者と支援者の姿に、

私は強く胸を打たれました。


ここまで読んで、私は自分自身に問いかけずにはいられませんでした。

支援者として、私は本当に誠実でいられているだろうか。


知らず知らずのうちに、「仕方のない現実」という言葉に逃げ込み、

考え続けることを手放してしまってはいないだろうか。


現実の中で引き裂かれながらも、

それでも懸命に誠実であろうとする支援者の姿に、

「ちゃんと生きよう」と感じた著者の思いに触れ、


私自身もまた、

「支援者として、自分の役割を丁寧に引き受け続けたい」と思わされました。

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