「利他・ケア・傷の倫理学」の感想文
更新日:8月20日
先日、『利他・ケア・傷の倫理学』(近内 悠太著)という本を読みました。
・ケアとは何か。
・利他とは何か。
・人を支えるとはどういうことなのか。
そうした問いについて哲学的な視点から考える本です。
今日はこの本の感想をお話ししてみたいと思います。
読んでいて特に印象に残ったのは、
「倫理は道徳と衝突することがある」という話でした。
私たちは普段、「正しいこと」を大切にします。
・学校に行くこと。
・働くこと。
・人と仲良くすること。
・自立して生活すること。
それらは社会を支える大切な価値観でもあります。
しかし、目の前に苦しんでいる人がいるとき、
その「正しさ」では救われないことがあります。
そんなとき、私たちは道徳やマニュアルを超えて、
未踏の大地へ一歩踏み出さなくてはならない。
著者は、そのような営みを「倫理」として定義しました。
●ケアってなんだろう
私は長く医療の現場で働いてきました。
医療では「治すこと」を大切にします。
それは当然のことです。
限られた医療資源を適切に届けるためには、
・何が病気で
・何が治療の対象で
・何を回復とみなすのか
を決めなければなりません。
けれども、人生にはその枠組みの中だけでは扱いきれない悩みや葛藤もあります。
病気ではないけれど苦しいこと。
変わりたいけれど変わりたくないこと。
どちらが正しいとも決められないこと。
私は昔から、「健康な人間像」という考え方にモヤモヤした思いを持っていました。
社会が求める健康な心。
望ましい生き方。
本当に人間は、いつもそんな風に生きていけるものだろうか?
そんな疑問を抱きながら働いてきたように思います。
支援者はついつい
「こうなった方が幸せなんじゃないか」
「こう生きた方が楽だろう」
そんな風に自分の持つ価値観や道徳を元に考えてしまうことがあります。
けれど、ケアとは、相手を自分の考える正しさへ導くことではなく、
相手が何を大切にしているのかを理解しようとすることなのだそうです。
「ケアとは相手を変えることではなく、自分が変わることだ」とも書かれていました。
本当に相手の大切にしているものは何だろう…と深く考えるとき、
支援する側もまた、自分の価値観や世界の見方を問い直されます。
そうして、お互いが新たな物語を見つける。
ケアとは、そのような相互的な営みなのかもしれません。
●豊かさとは傷つきやすさかもしれない
本書には、「社会の複雑性が増したからこそ傷が生じ、ケアが必要になる」というお話しもありました。
私は、多様で豊かな社会であってほしいと思っています。
それは、さまざまな価値観や生き方が認められる社会です。
しかし、言われてみれば、そのような社会は安定した社会ではないかもしれません。
価値観が多様であるからこそ、迷いも葛藤も、争いも生まれます。
きっと傷つけ合うこともある。
だからこそ、私たちの社会にはケアが必要になるのでしょう。
最後に、とても印象に残った言葉があります。
「自分の置かれている劇がつらいものだとしても、
ただの劇に過ぎない。新しい劇の始まりを待つことができるはず」
確かに人生は苦しい。
けれど、その物語だけが人生のすべてではないはずです。
私たちは、生産性や有用性だけでは測れない物語を生きていいはずだと思うのです。
そして筆者は、「新しい劇を始めることこそが、ケアなのだ」と言います。
私は相談室が、その人自身の物語を見つめ直し、
新しい物語の可能性を考える場所でありたいと思っています。
『利他・ケア・傷の倫理学』は、
難しくて理解できない部分も多くありましたが、
読んでいて胸が熱くなるそんな一冊でした。


